風鈴

猫 サイエンス 哲学

ニュアンス

リズミカルに生活している。
4時半起床、7時出社、残業の長短を帰宅後の自由時間で緩衝し、22時半から23時の間に就寝する。
トントン、ターン。トントン、ターン。
まな板を叩くように平日の人生を刻んでいる。
よほどメンタルを崩さない限り、リズムはそれほど崩れない。私のメンタルが崩れにくいのではなく、もしかしたら鈍麻させられているのかもしれない。崩れたら一巻の終わり。


文章を書く愉しさがあるとすれば、それは言葉を自在に操れることではない、と個人的には思う。ああでもないこうでもないと唸りながらも自分が納得できる表現に出逢えるその瞬間の快さを味わいたくて、私はきっとここに書いている。

言葉にはニュアンスがある。けれどそのニュアンスを知らなければ理解も使うこともできない。そんな時、私はとにかくシソーラス(同義語)を活用する。

言葉に含まれる様々なニュアンスは、別のニュアンスを引き寄せて、次々と連結してゆく鎖となる。手繰り寄せれば発見がある。より自分の思惑に沿った言葉を見つけ出すための有力な手がかりとなる。そうやって私は、言葉を貯蓄しているように思う。


現実の運営を自分の中にある倫理とかけ離れることなく実現してゆくことで、私の人生の満足度が上がると何処かで信じている。
自分の中の軸は、少しずつではあるけれど、安定化してきたように思う。焦らず、一歩ずつ、着実に。
筋の通った人生を。