予想

厭世的な気分が寂寥にとって代わる。
私は自分で思うよりも世界を愛しているのだろう。
何かを失うというのに、それが確かにそこにあったという証明は残される二律背反。手にいれた時、既にそれはなくなっている。



森博嗣 著『青白く輝く月を見たか?』に、印象的な一文があった。「一つの社会を構成している人間たちについて、それぞれの個人としての行動を予言することはできない。しかし個人という基本単位を多数寄せ集めてみると、そこにある種の法則が浮かびあがってくる。それはちょうど、はるか以前に生命保険会社によって発見されたものに似ていた。つまり、ある一定期間内にどの個人が死ぬかはわからないが、全体として何人ぐらいの人間が死ぬかはかなり正確に予想できるのだ」(頁149)

株価、経済、政治、天候、地震、戦争、死亡率・・・マクロスコピックにみて初めて理解や予測が可能になる事柄は数多くあるけれど、そのうちの幾つかは人間という種族の生命活動と感情の性質や傾向を強く反映して成立する潮流の一部なのだということを感じている。
たとえば歴史とは観測されて初めて歴史として遺される訳だけれど、観測されない事象のひとつひとつに影響力がないわけではもちろんなくて、ひとのたったひとつの心の動きですら、潮流に組み込まれる水分子のひとつなのだ。

私がそれを食べたいと願うその裏には、欲望があり、マーケティングの刷り込みがあり、社会から与えられたストレスがあり、肉体が要求する栄養成分があり、付き合いがあり、義務がある。その結果として時に病を得たり、流通の最尾を担い、誰かに与え、廃棄したりする。
心の動きですら、何にも影響を与えないとは思えなくなっている。口に出さずとも。圧し殺したとて。忘れてしまっても。

この脳の中に押し込まれているスペックの低いシミュレーションシステムを駆使し直感だけで辿り着けるような答えが欲しい。全ての因果が可視化されなくてもいい。

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渋谷東急百貨店の古本市、愉しかったな。
カントとジャック・デリダは初めて読む。
井筒先生の文庫初版本に出逢えたのも本当に嬉しかった。また古本市が立ったらゆこう。神田にもゆこう。懐かしの、神田神保町

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