風鈴

猫 サイエンス 哲学

距離感

離れていても、窓から見える隣の実験棟の白い壁にとまっている黒い点はセミであるとすぐに気づいた。5階部分くらい。随分昇ったものだなと、感心する。開かない窓枠、厚い壁に阻まれてその声は聴こえないけれど。

昼間所用があり、実験棟から外に出て、敷地内のほぼ端から端までを歩いた。5分ほどかかるその道程を、散歩するようなこころもちでふらり、ふらり。
働いている人たちと多くすれ違う。草を刈るひと、枝を切るひと、ゴミ処理をするひと、守衛所に詰めるひと。それぞれがそれぞれの持ち場をこなすことを生業としている。様々な生業を持ち寄ってここのシステムが成立している。発生する雇用。雇用を賄う収益。収益を還元する仕組み、仕組みを考える人々。気持ちよく仕事ができるのは自分の努力だけではないという当たり前の事が景色としてそこにあった。
コツコツやろう。まずは自分の持ち場をひとつひとつ確実に。そんなシンプルな感想を持ち帰って続きの仕事をした。



これは人によって感覚というか、感じ方の違いがあるだろうし、勿論、自分と相手との関係性にも依存する。私には「この人にはむしろ、ぞんざいに扱われないと気持ちがわるい」くらい気のおけない話し相手がいるし、逆に礼を尽くして細心の気を遣う相手もいる。もしかしたら「自分ならこういう風に気遣ってお返事をする」という在り方が近しい方に安心できるということなのかな。互いが取る距離感の、ちょうど中間地点で話ができる相手、と言い換えてもよいかもしれない。


尚、(ご当人には読まれていないであろうから書きますが)このツイートのきっかけは主にCheruさんを想定していました。Cheruさんはすごいねほんと。


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こちらのblogもようやく少しずつ、積み重なってきた。
他愛のない話を気の向くままに。