風鈴

猫 サイエンス 哲学

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ニー仏さんのキャス録画2本、『余は如何にして出家者となりし乎 』密かに楽しみにしていた。ようやく聴くことができて嬉しい。

ギリシャの倫理(目的から方法へ)から神は死んだを経て近代(方法から目的へ)に至り、現代日本では特に功利主義(≒損得主義=金とパンツ)しか残らなかったという話の流れの面白さよ。確かに現代日本では帰結主義や最大多数の最大幸福などがベースに仕込まれた上に規定された「正しさ」を感じる。そしてその「正しさ」に疑問をもちにくい風潮も確かに感じている。それはニー仏さんが指摘するように、「価値体系を自覚させる」という(思想教育という意味ではない)哲学的教育の不足が原因の1つとして挙げられるのだと思う。

縁起説が宇井伯寿と和辻哲朗の影響を受け明治以降に普及した考え方だったという話も新鮮だったな。この説が科学的世界と親和性が高いということ、実感として理解できる。自分から見える限定された世界において事象を因果関係で結び結論づける日々を、我々は生きている。

ニー仏さんがミャンマーで実践に至った経緯やなぜ学者として生きることをしなかったのかという部分はある意味キャスの核心なのでここでは触れないけれど、若林さんが仰るようにその理由、「痺れました」ね。

それからこれは個人的所感なんだけど、私も幼い頃に学研ひみつシリーズを貪り読んでいたこと、赤毛のアンに限るけれどモンゴメリを好んで読んでいたこと、ズッコケシリーズもかなり好きだったなど、読書体験がニー仏さんと一部共通していたことがなんだかちょっと嬉しかったな。一気に懐かしさで幼い頃に引き戻されてしまった。虹ができる理由、夕焼けが赤いひみつ・・・ワクワクしながら読み漁ったあの日々が、間違いなく私を科学の道へと導いてくれた。

では私自身の「コペルニクス的体験」とは何だったのか。キャスを聴き終えてから考えていた。まだ考えを纏めるに至っていない。いつかここか、または何処か別の場所で、そんな話ができたらよいな。そう思っている。


以前blog「遊泳」の方にもちらっと書いたことがあるけれど、自分はいつも「眠っているような感覚」が何処かにある。しばしば覚醒感を得る時もあるのだけれど、記憶の領域が少々不出来なのか、必要な情報を必要な時に取り出せないことが多々あるんだよな。困ったものです。特に自分の人生に興った事象に記憶のフックを仕掛けることが苦手なようで、最近は意識的に仕掛ける努力をしている。年代とイベントごとについてとか。こんな記憶ほんとに要る?要らなくない?とか思ってしまうのが、覚えておけない原因なのかもしれないな。
そういえば記憶に関してWIREDに面白い話が出てましたね。

https://wired.jp/2017/08/12/your-brain-is-memories/
(以下一部抜粋)

記憶と脳の関係、そして記憶のメカニズムの詳細を明らかにする論文が発表された。研究結果によると、記憶とは「脳に蓄積される」ものではなく、脳が「記憶そのもの」であり、脳細胞やシナプスなどが「時間を理解」しているのだという。
(中略)
「典型的な記憶とは、過去のある時点で活発だった脳の複数の部位のつながりが、再び活性化することでしかないのです」と語るのは、論文共著者のひとり、神経科学者のニコライ・ククシュキンだ。
(中略)
記憶とは「システムそのもの」だが、こうした分子や、分子が制御するシナプスが記憶である、という考えは誤りだ。「分子、イオンチャンネルの状態、酵素、転写プログラム、細胞、シナプス、それにニューロンのネットワーク全体をほじくり返してみると、記憶が蓄えられている場所など、脳内のどこにもないとわかります」と、ククシュキンは言う。

これは、記憶にかかわるニューロンの可塑性(外界の刺激などによって常に機能的・構造的な変化を起こすこと)と呼ばれる特性のためだ。言い換えると、記憶とは「システムそのもの」なのだ。
(中略)
ヒトの記憶は、どんなに大切な記憶であっても、粒子のレヴェルからスタートする。あなたの母親の顔は、最初は大量の光子(フォトン)としてあなたの網膜に降りそそぎ、網膜が視覚野にシグナルを送る。声を聞けば、聴覚野が音波を電気信号に変換する。ホルモンは、「この人といるといい気分」というように、経験に文脈を添える。

これら以外にも、無限と言っていいほど膨大な数のインプットが、連鎖的に脳内を駆け巡る。ニューロン、制御分子、それによって生じたシナプスには、関連するすべての副次的事象が、その発生の時系列とともにエンコードされていると、ククシュキンは言う。しかも、経験全体がひとまとまりとして、いわゆるタイムウィンドウのなかに収められているのだ。

これ、自分がこれまで考えてきた記憶に対する理解を根本的に覆すような興味深い話だった。脳のシステムそのものが記憶装置として機能しているのか。とはいえ遺伝子にシステムそのものの情報が格納されているわけで、ではエピジェネティクスな要素が記憶の可塑性にどこまで関わってくるのか、経験によって書き換えられた記憶はシステムのどこからどこまでによって保持されているのか(脳の部位ひとつひとつの機能を考えると必ずしもその全ての機能が記憶領域と深い関わりをもつとは考えにくい)などと考え始めると止まらなくなりそう。論文読んでみようかな。

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横浜中華街で購入したハリネズミまんが可愛かった。中身は甘すぎないカスタード。お店の前では掌にハリネズミまんを載せて「熱い!あっついよ!!」って騒ぐお父さんらしき人を家族みんなで取り囲み、ニコニコしながら撮影会していた光景に和みました。よい。とても、よい。