風鈴

猫 サイエンス 哲学

雨予報

気まぐれに、いつもと違う路線を使って帰宅している。
聞き慣れない電車の駆動音、乗り降り間違えないよう、指先まで走る緊張の痺れ。
金曜日の夜に残業までしてくたくたなのに、なぜわざわざ冒険なんてしているんだろう。いや、くたくただから、なのかもしれない。人は真っ当な状態では真っ当な事しか選択しない。



人格と意見を切り離すとは、尤度の指標をどこに置くかという話なのではないかと思う。人はチラシの裏に書かれた無記名無所属の意見でも納得することは可能であり、そこに人格は介在しない。但し当人の思想や知識背景(この場合でいうところの人格)を根拠とする尤もらしさが判断基準となる。
人格と意見の分断とはつまり、意見の中から普遍性をもつ論理を抽出しましょう、という考え方であるといえるかもしれない。そのためには自分の判断根拠となる基準値の「尤もらしさ」が求められる、という話なのだと考えている。


ところで、Twitterに言葉を投げていると他者からの反応が答えの尤もらしさを担保するような気持ちになってしまうことがある。これはあまり佳い傾向ではない気がする。自分の中で反証したい。


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もうすぐ季節は乾いた音を立て始める。もうすぐ。