風鈴

猫 サイエンス 哲学

憂いの風が吹いている景色を眺めていた。
何の具体性もない。けれど与えられた固有名詞と現象を結ぶ文脈の内側に、読み手の感情を組み込んでそれは成立する。ひとつの物語として。
彼の文章には、いつもそれを感じる。
何かを明示するのではなく、自身を映す濡れた鏡のよう。

抽象概念を共有化するにはどうしたらよいか、ということについてよく考える。
直示的に伝えればそれは具体性をもち、たちまち「其れは此れ」になってしまうだろう。
喩え話がよいだろうか。
「宇宙のように混沌とした日常だよ」とか。
我々は宇宙の混沌を知らないというのにね。

今朝は何となく予感がして、家を出る直前に傘を手にとった。正解。夏らしさを含んだ重たい雨に出逢う。
いつもみずたまりができる歪んだアスファルトが整備され、味気のない、けれど緻密な計算と技術を詰め込んだコンクリート素材に塗り込められて撥水している。塊であるか、ちりぢりでいるか。そんなささやかにみえる違いが私達の生命すら左右する場合もあるのだよな。
整備されてなおも遺されたささやかなみずたまりに映る景色を眺めながら歩く。
厚い雲に覆われ降り注ぐ雨を映しているはずのそこには、星空に似た景色があった。
これもまた濡れた鏡、だ。

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帰ろう。おうちへ帰ろう。