風鈴

猫 サイエンス 哲学

尊厳

穏やかないちにち。
山道を下り駅に向かう途中に見つけた草花や虫の写真を撮り歩き、知らないものについては名前を調べ、特に興味深いものについては生態や生息の仕方についての情報も得る。掌に載る図鑑は今のところ、深追いさえしなければその場に在りながら大抵のことを教えてくれる。スマートフォンはヒトの頭脳とその機能を拡張するデバイスであるという見解に賛同する。これは間違いなく、進化のための鍵のひとつだ。

ランニングのためのTシャツを2枚買い足す。
徹底的にシンプルで地味な色ばかりを選んでしまう。
読みさしだった実験医学の続きを読み、学会報告を出す前に読んでおけばよかったと思うような記事がひとつ。学びについてもう少し先手を打ちたい。




Twitterでお見かけした、ももさんという方の「老犬を看取る」というまとめがあまりに素晴らしく、しばらく言葉が出なかった。尊厳をもって接するということがどういうことなのか、信頼を寄せ合いながら最期を迎えるとはどういうことなのか。自分にとって1つの形が示されたように思えた。
順当にゆけば、私よりも共に暮らす猫たちの方が先に旅立つ。そう遠くない未来のことだ。その時、どのようにあるべきか。受け止める準備をしておきたい気持ちがどこかにあるのかもしれない。
2013年に母が亡くなったときはあまりに突然で、何の心の準備もなく、悔やむことが多かった。そのせいもあるのだろうな。
この事については、まだもう少し落ち着いて考えよう。


認知の歪みとは認知の正誤ではなく「発信側が意図していないような意味付けをもって解釈する」という事であると、巧く伝えられなかったのは残念だった。伝える事ができないということ自体、もう既に彼に対して歪んだ認知が私の中にあるということなのだよな。コミュニケーションは勇気、コミュニケーションは勇気・・・

眠くてまとまらなくなってきました。
もうそろそろ、眠りましょう。

f:id:natsukiss:20170730225748j:plain

山はもう、秋の準備を始めているんだなあ、と思った一枚。