風鈴

猫 サイエンス 哲学

体裁

飽和している湿度の中を泳ぐように歩いている。
初夏と呼ぶには既に手遅れであることに気づかされるほどに、いつの間にか季節の真ん中に放り込まれていた。
なぜ季節も感情も、振り返ってみて初めてそれと気づくのだろう?


先日「なつきさんは温厚そうだから怒っている姿を想像できない」と云われたのだが
「私、自分が怒っているかどうかよくわからないし、わかるまでに時間がかかるみたいなんですよね」という答えを返した。
怒りという感情を抑圧している向きもある。怒らないのではなく、怒っている自分を認めておらず、故にそれを受け入れるまでに時間がかかる。或いは怒りそのものを善くないものであると認識しており、なかったことにしようとしているという傾向も自覚している。
もうひとつに、怒ると冷静さを欠いてしまいがちなので、怒りを一先ず措いておき、情報判断を下してから「これは怒ってよし!」と自分に許可を出す場合もある。

感情を感情のままに処理できない。
他人には統制された自分を見せることしかしたくないのだとも思う。コントロールできていることは格好いいことなんだという呪縛、骨の髄までしみているようだ。
振り返ってみて初めて気づかされる感情、それもまた溺れているようなものなのだろう。
夏の、さなか。


これまでのblog(遊泳)でやりたかったことは一区切りついたので、あちらは閉鎖し、新しくこちら(風鈴)で始める事にしました。
深井さんのblogのおかげで哲学の世界の片鱗に触れることができ、自分のベースとなる考え方が大きな転換を遂げた1年強でした。ここに書いて伝わるかどうかはわかりませんが、とても感謝しています。ありがとうございます。
また、なにより私のTwitterおよびblog記事を気にかけて下さった多くの方々に心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。