風鈴

猫 サイエンス 哲学

積層

もう20年ちかく前に起きた出来事を、思い出した。振り返ってみれば私の人間関係はその出来事を基軸とし失敗を繰り返してきているように思える。PTSDとまではいかないけれど、心に深く刻まれたダメージを癒すことなく重ねてきた上書きが厚みを増しバウムクーヘンのような層を為している。甘くはない。
時間を経れば記憶は薄まってゆくものだと考えていた。実際には、深く穿たれた杭にぶらさがった鎖のその先は記憶に繋がっている。私はいつでも思い出す。類似した事象に、言葉に、態度にその影を見る。
1枚ずつ剥がしていったとしても、中心部には何もない。何を容れることもできた筈なのだ。でも何もない。

帰りの電車、涙がこぼれたら堰が切れると思い、呼吸を整えそこに集中した。吸い込んだ息が身体中を駆け巡り、指先まで届いて痺れるような痛みと置換する。過去の自分を一時忘れ、いまここにある心と身体、ただそれだけを思う。

あの時とは同じじゃない。
繰り返すことはない。
誰のことも責めない。一人の人間と一人の人間が個別に生きて活動し、それぞれが自分にとってよいと思う選択をしながら生きている。ただそれだけのこと。
自分の身に起きた自分にとって不都合な出来事が相手にとって都合のよいことだったとしても。私と同じように相手も抉られているとしても。それらのできごとは相手のせいではない。自分のせいでもない。ただそれは起こった。ただ、それは。
憎しみもない。怒りもない。哀しみはまだ時々繰り返すけれど、その時はまた哀しめばいい。積み重ねてきた層の一枚一枚、その総てが私であり、私の人生であるということ。
忘れなくてもいい。積み重ねてゆこう。