風鈴

猫 サイエンス 哲学

拡げつつ閉じるということ。

彩度の低い朝。
ここ2日ばかりは街が美しく色づいて見えたので、明け方の金星を思い出しながらのそのそと起き出してみた。
猫の耳に薬を滴下する。
膝の上で円くなった猫は、尻尾の毛繕いをはみ出して私の脚も少しだけ舐めてしまう。ざらざらり。
糸状乳頭というネーミングは不相応なのではないか。鮫肌乳頭に改名しようよ。ワサビもおろせるはず。


何か物事を判断する際に関わってくる重要な構成は大まかに分けると3段階あると思う。
根拠となる素材、素材を組み立てる手法、そこから導き出される結論。
「了見が狭い」という表現があるけれど、「了見」はこれらの構成のうち全てに深く関与する。そして了見を拡げるためには適切な「学び」が必要なのではないかと私は考えている。


学びのその先にある自由について考えていた。

学ぶことで、未知と既知を区別できることが増えてゆく。そして既知のトピックに対しては解決法や答えをもつことができるということでもあるのではないか。
学びはもちろん学問だけではない。他人、或いは自分自身の心の動きもそうだ。「なぜそのような反応をするのか」「なぜそのように捉えてしまうのか」動きを1つずつ追うだけでは決して理解できない。しかしその原理を知っていれば理解できる事もある。理解できなくてもよいのだと思う事もできる。
そのようなことを。




今でも時々、誰かに伝わることの必要性を疑い、祈りの世界をさまよってしまうことがある。
自己満足以上の満足が、この世界に果たして存在するだろうか?
その思いがどこか抜けきれずにいる。
ただ、少しだけ変化したことがある。自分の中だけで閉じていた論理の環を身近な他者まで拡げつつ閉じることができるようになってきた。
これが好ましい事なのか否かの判断は未だ難しいけれど、やってみようと思うんだ。やり続けてみよう。

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クリスマス・ブッシュを購入した。
白い花が咲き、そのあとに成長したガクが赤く染まるというオーストラリアの木。
星を散りばめたような形。
愛らしくたおやかに美しい真夏のクリスマスを想う。