風鈴

猫 サイエンス 哲学

フレームアウト

夜の終わりが近づいてくると、街路樹の雀か椋鳥がヂュルヂュルと啼き始め、ある時を境に一斉に飛び立ってゆく。
ここ最近は日の出が少しずつ遅くなってきて、しんと静まり返った街路樹の脇を通り抜けることが増えてきた。あと数十分後には眠りから覚め、また彼らの今日が始まるのだ。
街路樹を見上げても、1羽の影も見当たらない。息を潜めるような美しい眠り。


心理療法を学ぶ」という本を読んでいる。
心理療法を学んでいた(元?)学生さんが古本屋に売り下げたのだろうか、所々ブルーの蛍光ペンによる傍線が引かれ、授業中語られたらしい強調事項が赤いボールペン文字で追記されている。
眠気をこらえつつメモをとったのだろう。赤い文字は時折くねるように紙を這い、フレームアウトして消えたりする。
生々しい生命の痕跡。
消えた文字は夢の先で言葉を記すのだ。


元の持ち主は無事資格をとって臨床で活躍しているのだろうか。いや、志半ばで墜折れて教科書を全て売り払ったのか?
答えのない空想も織り込まれつつ頁をめくる。


「感情とは言葉にしにくいもの」は、私自身がよく感じることでもある。制御された感情でなければおもてに出すことを不安に思う。

完璧、そつがない、理性的で穏やか。

自身が思い描く理想の自分という猫の皮を1枚かぶっている。
自らそれを、望んだ。そして実現しようと行動している。

けれど本当は、理想などではないのかもしれない。心のうちを他人に見せることを畏れ、その弱さへの言い訳がこの皮なのかもしれない。
注意深く、もう少し、このことについて考えてみることにしよう。


二件並ぶ居酒屋の店先に、それぞれの店の代表者が出てきて、帰宅途中の人々に「居酒屋いかがっすかー」と声を掛けている。
通行人が途切れたところでお互い世間話をしているのを見かけた。
「え、でもカノジョがいるんですよね?」と女性店員。
「いや、いないんだよ。だからさぁ、」と男性店員。
雑踏の中に語尾が消えてゆく。
歩幅を緩めたとしても、あっという間に遠く離れる。
相対的に彼らの時間が少しでも長く緩やかに、流れてゆきますように。