風鈴

猫 サイエンス 哲学

tranquil

理由を説明できない感情に名前をつけるのが下手なんだ。


文章書きを志していたとしたら、嫉妬もしただろうな。心に立つ波風をうたにして、音や匂いを文字列に変換する装置でありたかった頃ならば。

自分の中の枯渇を感じた瞬間、向いていないことを悟った。リソースも一貫した哲学も飛び抜けた感性もないのに、恥の概念が強すぎると言い訳しながらそこから逃げた。
自分の才能に見切りをつけるのは苦しみではない。見切れずにしがみついていることに比べれば。

一抹の希望というのはよく光に喩えられるけれど、私は砂糖なのではないかと思っている。
過剰に摂取すれば肥え、病を誘因し、常習性がある、史上最悪の科学物質って誰が言ってたかな。



旧知の親しい友人から半年の間に結婚と離婚と再婚と妊娠の報せが届き、混乱している。まあそんな事もあるのだろう。抗いようのない流れに巻き込まれ、決断をしなければならないようなポイントが人生に時々用意されていて、人はそれを運命と呼んだりするのだ。
実際は思考と選択の上に構築された線路の分岐点であったとしても。

答えが自分の中に既に用意されていそうな問いなのに、実は外部にありました、という事実が不思議な感覚を喚ぶのかもしれない。
脈々と受け継がれた遺伝子と、生きてきた環境に適応するため与えられたエピジェネティックな修飾が 答えにヒントを添えるのだろう。

私はどういう人に惹かれるのか。
惹かれてからでないと、その答えは出ない。

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