一番星

かつては「こう言えば格好よく見えるだろう」と、人からの見え方を気にかけた発言をすることもあった。悪く言えば綺麗事であり、自分だけが知っている理想と現実のギャップは背信に似ていて、自身の人格の薄っぺらさの証左でもあった。しかし裏を返せばそれは「こうありたい自分像」の表明でもあった。
口に出したからにはやらねばならぬ。現実はいつでも理想の後追いだけれど、そこに目指す姿が見えているのなら、あとは追うだけでよいとも言えるのだった。
理想像に追い付くことは、ないと思う。後追いは生きている限り続くのだろう。でもきっと、それでよいのだ。人は生涯をかけて、なりたいような自分になってゆく。往きつ戻りつしながらも。



日曜日の神田神保町へ。
シャッターが下りているお店は多かったけれど、それなりに楽しめたと思う。新刊書店も本の陳列に個性があり、一般書店では棚に数冊並ぶ程度のマニアックな文芸書が平積み面展になっていたりする。

この古本屋街を訪れたのは記憶が確かならば10年ぶり位だった。1つずつ目につく本屋さんに入っては、棚を隅からゆっくりと見てまわるのは至福であった。手にしては戻し、手にしては戻し。しかし結局私はただの一冊も、購入することができなかった。
目に飛び込んでくる美術書も哲学書も、敷居が高いというほどではない。相応の値段を支払えば手に入るはずだった。でもなぜか、自分が所有すべきではないと感じたんだ。
在るべき場所に在る方がよいのではないかという感覚。もしかしたらそれは、それらの本に対する敬意のようなものなのかもしれない。いや違う。本当は、己の不勉強さが、知性に叩きのめされたんだ。私は、圧倒されていた。うず高く積み上げられた先人の知性に。

対等な目線であの棚の前に立つことができるようになりたい。



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