風鈴

猫 サイエンス 哲学

霧雨

外へ出たら予定外の霧雨で、会社のロッカーへ置き傘を取りに引き返す。今日は降らないと思っていたのになあ、と歩き出したら、久しぶりの虹。

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若林唯人さんのフリーペーパー『フリースタイルな僧侶たち』(http://p.booklog.jp/book/116387)の第47号にニー仏さんこと魚川祐司さんが寄稿されているということで、拝謁した。
仏教が私にくれたもの』

以前、氏のツイキャスで「瞑想を始める前と後で、どんな事が変わりましたか」と質問したことがある。ニー仏さんは暫し考えてから「言えないな。変わったことは間違いない。だけどそれは言えない」ときっぱりと仰ったのをよく覚えている。
触れるべきではなかったのかな、と申し訳なさを感じながらも、できないことをできないときちんと言葉にしてくれることに誠実さを感じたりもした。そして、あの時言い淀んだ一瞬が、この文章には詰まっているのだろうと感じている。

ニー仏さんが抱えてきた「unheimlichkeit(違和感)」その苦しみは他者が想像或いは共有できるものではないけれど、その思いや過去の断片を知ることができたのは(表現は不適切かもしれないが)嬉しく思えた。今はもう、その状態を受け入れ、呑み込み、問題が解決したのだという現状も併せた上で。



想像できないと言いつつも、思いを馳せてしまう。
彼は「気づきの世界」に生きているのかなと。
この社会システムも人間関係も、いやそもそも「人そのものが」物理的な正解に整合性を優先させるような矛盾の上でかろうじて成立している。矛盾に気づいたとしても組み込まれるしか手立てがない制約の中で、大多数は息を殺しながら生きている。
気づかないでいられたならラクであるかもしれない。気づかないふりをすれば心は死なない。そんな矛盾を他の人より灼然と見透せてしまったのだとしたら。


ひぐらしが鳴いている。
今夜は風が涼やかだ。
夏をどこかに忘れてきたかのように。