風鈴

猫 サイエンス 哲学

習慣

心を鎮めるためにここにきた。

Twitterは情報過多であり、他人の言動に触発されて自動的に溢れ出す自分の思考や感情が心の中を渦巻いてしまい落ち着かない。

刺激的な世界は楽しい。Twitterは飽きさせず脳を休ませる事なく私に快楽を与え続けてくれるのだけれど、ふと気がつくと、とても疲れていたりする。刺激への耐性を獲得し、より強い刺激を求めてスクロールしていることに気づく時のあの虚しさは、離れてから初めて気づくことができる気がする。


心が逸るとき生まれる感情についてしばしば考える。もし仕事の速さを見せつけたい、誰よりも早く話題の作品を読みたいといった第三者からの評価の視線を意識している事に気づいたら「"認められたい"という気持ちが私の中に生まれているだけだから、ゆっくりで大丈夫。」と唱えてみたりする。
勿論場合によるけれど基本的にはQualityとquantityはバランスが大切なのでどちらかに偏らない方がよいと私は考えている。しかし自分の傾向としては短い時間で量を仕上げようというパフォーマンスに傾きがちなので、意識的に雑さを取り除いて丁寧にやっていくのがベストみたいなんだな。
何のために目の前のその仕事をこなしているのか、という目的意識が承認欲求の充足のみに偏らないよう、意図的に自分をハンドリングする。経過のみではなく、成果に対しての承認を獲得することもできるのだということを折に触れて思い出せるような努力をしていきたい。


動物病院に勤めていた時、午前診療と午後診療の合間にスタッフ皆で一斉に10分ほどの仮眠をとるシステムを採用していたせいもあり、今でも少しだけお昼寝をするのが生活の一部になっている。
しかし、「パフォーマンスが上がるから」仮眠をとっていたはずなのに、いつの間にか「仮眠をとらないとパフォーマンスが下がる」になってしまっているのは困ったことですね。
パターンとリズムに支配されてる。