風鈴

猫 サイエンス 哲学

ないもの。

流れがよくないと感じる時がある。
石につまづくように、タンスの角に指を引っ掛けるように、人生のハードルが超えづらい日。
もちろん自分の言動の因果の先である場合もあるのだが、それだけでなく、河川のカーブ内側に生じる淀みの溜まり場、自分の力では抗えないスポットに嵌まり込んだように。私はもがいている。掌を見つめ、何かを取り零しそうな感覚を眺めることで見届けようとしている。

問題が解っているならほぼ解決したようなもの、とはよく云うけれど、現在のこの状態は問題がわからない。ただただ漠然とした喪失感がそこにはある。

昨夜眠りに落ちる直前まで考えていて、夢の中まで持ち越した考えが心に煙幕のような霧雨を降らせているのかもしれない。私に向けられたものではないけれど、「卑劣な逃走」という言葉に自己を重ね、私は背筋を伸ばして生きられているか否かという検証が己れの中で網羅的解析を始める。

彼女は(好意的な見方をすれば)恐らく、相手と共に積み重ねてゆく関係性により、自分の考え方や対応の仕方が変わることもあるという意味合いで、「性格は関係性により変わる」という表現を用いたのかな、という理解をした。けれどそうであるならば説明をすればよいのに、発言自体を引き下げたことで、否定的解釈を認めたと受け取られてしまうだろう。或いは、理解されることを諦めているのか、端から理解される必要性を感じていないのか。

他人の感情を引き受ける必要性はない。あるかどうかもわからない誰かの感情を代理で自分の中にもつことは無意味だ。ただ、昨夜の一連のできごとのうちの「何かが」私の心を揺さぶり、霧雨に変わっているのだと思う。
私は逃げない。
いや、その前に迂闊な発言をしたくない。
けれども自分の能力に自信がないからこそ、彼女と同様の行動を示してしまうかもしれない未来の自分を憂慮している。
ないものを愁うその行為もまた、無意味であると知りながら。


暖かくなってきたので、ランニングを再開している。きもちよくて、どこまでも走れる気がして、オーバーワークしてしまうほどに、春。消費エネルギーと相対的に筋肉量が増加するせいか体重はさほど変わらないのだが、シルエットが変化する。尻の位置が上がり、大腿部の隙間が拡がりを見せ、脛部の周径が一回り縮む。変身願望を充足する報酬。指の先まで思い通りに生きていたい。

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機能

カーテン越しのまだいかほども光を含まない気配。
覚醒を待つ微睡みの中で脳が急速に回転を始める。夜明け直前。私はこの季節のこの時間帯を識っている。恐らくは、6時前後。スマホに手を伸ばし確認する。6時6分を示すデジタルがバックライトに白く浮かび上がる。先程まで爪の先まで私の身体を包み込んでいた夢の世界が急速に後退してゆく。保持される必要がないと判断された記憶が現実に侵食されてゆくさまを眺めながら特段抗いもしない。昨夜は咳に眠りを中断されることなく存分に枕に頭を沈めていた。深い眠りを獲得できたという実感がある。良質な睡眠。良質な夢見。良質な覚醒。パスタを上手にフォークに巻きつけて口に運ぶような達成感。咀嚼された私の人生のほんの一握りがまるで永遠のように生活を分断する。人生は一瞬の連続で、失われてゆく時を如何に認識できるかによってその濃度を変化させる。目の前にある景色、目の前にある認識。感覚は入力するための信号。意味を与えなければ何ら機能しない。痛みは快楽に為りうる。快楽は悔恨に為りうる。物語を付与しながら人生を構築するということは機能するということと同義だ。機能したいという言葉は既に機能性を含んでいる。物語の中に統合がある。物語の中に、人生が構築される。咳がまた出始める。もう少し眠ろうか。

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返し刀

本を読む気にならなくて、車窓と景色の中間あたりを眺めている。焦点はどこにも合っていない。強いて言えば心中にフォーカスしている。

自分の中から何一つ言葉が出てこないという時がそう少なくない頻度で訪れる。言葉は絵を描く事と似ている。曖昧に滲んだ世界に境界線を引き、輪郭を与える。言葉を失うということは、輪郭を掴むことができずに曖昧なままの世界が私の周囲に、或いは身体を通り抜けたそこに在るということなのかもしれない。


同意と共感と称賛のみで構成されたコミュニケーションを信頼していない。恐らく私はその態度に媚を感じてしまうからなのだと思う。
筋の通った理由を添えてくれるならばいっそ否定してくれる人の方が安心できる。そこに誠実さを感じる。

但し、これは返し刀だ。
自分は相手に誠実さを以て接しているだろうか。
否定できない相手に対して、媚を売っていないだろうか。
事前に制御できないような感情や行動でも、反芻しその意味に気づいたり、または意味を与えることで自覚を促せると考えている。まずは自覚したい。誠実であるために。

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他者性

もうすぐ髪を切る。
2012年あたりから伸ばし続け、毛先は時々揃える程度に切っていたけれど。
人生で今が最も長い。そして人生で2番目くらいの短さまで一気に切る予定。
ドネーションする。
この長さを洗うのもあと二回だけだと思うと、いつも以上に丁寧になる。髪は確かに自分の一部なのに、容易に切り離されるが故に他者性をもつ。
一つ一つの細胞が、走馬灯を抱えている。私の人生を共に歩んできた。その全てを見てきた。もうすぐ離れてゆく。新たに別の誰かの人生をその裡に抱えてゆくのでしょう。
どうか幸せにしてあげてほしい。
私も幸せだったし、これからも幸せでありたいよ。
ありがとう、そしてさようなら。

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積層

もう20年ちかく前に起きた出来事を、思い出した。振り返ってみれば私の人間関係はその出来事を基軸とし失敗を繰り返してきているように思える。PTSDとまではいかないけれど、心に深く刻まれたダメージを癒すことなく重ねてきた上書きが厚みを増しバウムクーヘンのような層を為している。甘くはない。
時間を経れば記憶は薄まってゆくものだと考えていた。実際には、深く穿たれた杭にぶらさがった鎖のその先は記憶に繋がっている。私はいつでも思い出す。類似した事象に、言葉に、態度にその影を見る。
1枚ずつ剥がしていったとしても、中心部には何もない。何を容れることもできた筈なのだ。でも何もない。

帰りの電車、涙がこぼれたら堰が切れると思い、呼吸を整えそこに集中した。吸い込んだ息が身体中を駆け巡り、指先まで届いて痺れるような痛みと置換する。過去の自分を一時忘れ、いまここにある心と身体、ただそれだけを思う。

あの時とは同じじゃない。
繰り返すことはない。
誰のことも責めない。一人の人間と一人の人間が個別に生きて活動し、それぞれが自分にとってよいと思う選択をしながら生きている。ただそれだけのこと。
自分の身に起きた自分にとって不都合な出来事が相手にとって都合のよいことだったとしても。私と同じように相手も抉られているとしても。それらのできごとは相手のせいではない。自分のせいでもない。ただそれは起こった。ただ、それは。
憎しみもない。怒りもない。哀しみはまだ時々繰り返すけれど、その時はまた哀しめばいい。積み重ねてきた層の一枚一枚、その総てが私であり、私の人生であるということ。
忘れなくてもいい。積み重ねてゆこう。

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波打ち際

ぽくぽくと年末年始をかけて書いていた年賀状をようやく投函した。添えるひとことが浮かばないひととお返事が毎年ない人の分はそろそろ減らしてもよいかもしれない、と考えている。
日曜日のゆうゆう窓口は長い列の先頭に立っていて、暖かな日射しを浴びて並ぶ人達は殆ど縮まらない先頭との距離を諦めたかのように受け入れている。これほど苛立ちを感じさせない行列は、初めてかもしれない。ここだけが春であると錯覚する。名前もいいよね。ゆうゆう。なんか騙されちゃう。


独りでいることからくる寂しさの殆どは、誰かと居ることを"当然である" と価値付けた社会的な見方を通しての寂しさなのではないかと感じている。誰にも見られていなければ「寂しさ」は私たちに対して何の攻撃性ももたない。
何かを誰かと分かち合わなければ価値は価値をもたないのか。
自分の考えや想いを自分以外の誰かに理解される、受容される。そうでない状態は本当に"さみしい"のか。

誰かと関係性を築くことに対して何かの意味づけをする必要性はないと思うのだけれど、少なくとも道具や手段としての関係性は回避したいなと思う。私に空いた孔を埋めるのは私以外の誰にもできはしない。埋めなくてもいい。ただ、そこにさみしさがあったとしても、あるがまま置いておけばよいのではないか。


少しひどい風邪をひき、一日中浅い眠りを繰り返した。今日はかなりよくなったので、ずっと行きたかった冬の海へ。
夕暮れ時の海岸には20人くらいの男女が部活ジャージで水遊びしていたり、お父さんがちびっこの手を握りぐるぐるまわしていたり、よい風を捕まえて凧をあげている人がいたり、いっぬにフリスビーをとってこーいしている人などがいた。私は波打ち際ギリギリまで攻めて足元を濡らす前に逃げる遊びを繰り返した。
そうして景色の一部に溶けて夜を迎えて。

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Have a great New year

年末。
大掃除を淡々とこなした。
物を棄てるのが苦手な性分だが、えいやとがんばって処分した。
誰も代わりに棄ててくれはしない。買ったからには、最後を決めるのも自分自身で。そういう責任の取り方をしたいなと思った。

苦手なことを1つずつクリアしてゆく。
人生のレベル上げ。
「自分はこういう人間だから」と自覚し諦めているような部分こそ、変えることができるかもしれない。まずは適切に棄てられるようになりたい。

今年はカリグラフィを始めたので、〆にご挨拶。
コツコツ続けて少しずつでもよいから上達してゆければ嬉しいな。

読みに来てくださり、ありがとうございました。
よいお年をお迎えくださいませ。f:id:natsukiss:20171231235225j:plain

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