風鈴

猫 サイエンス 哲学

時間の孔

平日に有給休暇を取得して一人旅、をここ一年で何度か実行している。
最近では箱根、江ノ島、日光、三浦半島城ヶ島
日帰りでゆけて翌日に響かない程度の時間に帰宅できる距離の旅。事前準備はあまりせず、「これだけは観たい、体験したい」というトピックをひとつふたつだけ持って出掛ける。それさえこなすことができれば、比較的満足度が高まる。
そのうちふらりと海外へも独りで行ってしまいそうな気がする。行きたい。

海への憧れが強いせいか、旅の目的が海になりがちである。上記の中でも城ヶ島はとてもよかった。岩に打ち付ける荒い波が強い日光を跳ね返し、白く舞う波しぶきが碧に還る様をただ眺めているだけで何もかもを忘れていられた。ウミウが低く飛ぶ。干潮時、岩場に取り残された小さな海を覗き込むと、貝がゆっくり移動したり小魚が隠れる様子を見ることができる。あまりによすぎてゴールデンウィークにもまた訪れてしまったくらいだ。そのうちまた行くことになるだろう。

反省の心は向上心と成長のために不可欠であるのかもしれないが、過剰な反省はそれだけで心を傷めつける場合があると、感じている。
思わず唸ってしまうほどの過剰な反省をしないでいるために、時間の孔を埋めるような詰め込みをしてしまう。仕事もそうだし、Twitterなどもそうだった。これらの旅も、ある意味それなのかもしれない。それでも悪くはないなと今は思える。

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慣れ

誰かが離れていくことに対して慣れすぎてしまった。哀しいという気持ちはなく、「ああまたか」と思う。当然の作用のようにそれは起こりうるべくして起こったのだろう。


一貫して「去る人は追わない」というスタンスなんだけれど、私にとってのそれは相手の意志を尊重するためではなく、自分の弱さを守るための行為であることを痛感してしまう。「来るもの拒まず」も全然できない。

何度も書いてきたことだけれど、度量が大きい人になりたいというよりは、通過点のようなものでありたいというきもちがある。何も足さず何も引かない。増幅もせず減縮もない。ただ一切は、私の中を流れて出ていくような。
そうなってゆきたい。

こんな風に行動に移せてもいないような願いを口にする行為、せめて言葉に変えてこの世に顕現させたいという気持ちの表れなんじゃないかと思う。

丸井の屋上で買い弁を食べながらぼんやり過ごした。蜜蜂やハナアブが代わる代わるベンチ近くの花の蜜を集めてはせわしく飛び回るのを眺め、スマホタイムシフト撮影したりした。たまたま映り込んだ排泄する瞬間をYouTubeにアップしてみたりもした。それから神保町へ移動し、アンドレ エレの絵本を探した。目当ての本は見つからなかったけれど、圧倒的な歴史と当時の空気を閉じ込めたまま雑多に陳列される古本に囲まれていると自分の矮小さがどうでもよくなり、いつの間にかその歴史に呑み込まれていくように思えた。

35日前に書いて下書きに放り込んだ長文を今改めて読み返し、ゴミ箱に放り込んだ。
納得のいかない構成はどこをどれだけこねくり回しても佳いものに変化することはない。過去の経験が囁いてくる。それならいっそ、全てを壊して1からやり直そうと思った。焼き上がった器を床に叩きつける陶芸家のように。

かつては息を吸って吐くように書いていた文章の書き方を忘れた。自分の内部が空洞化している。ダイソンの扇風機はドーナツから風を出せるけど、私は風を産む内部構造をもたない。


都立庭園美術館で「フランス絵本の世界」という展示を観た。アンドレ エレのシンプルで愛らしく、コピペを繰り返し張り付けたような動物たちの無表情さに魅せられる。絵本の世界にも社会があり、政治があり、時代があった。表情のない表現に私は自身を投影する。投影する対象は無ではない。そこには既に仕組まれた感情の誘導があり、物語がある。

白紙のblog台紙に黒い文字を埋めてゆく。一文字では意味をもたない只の記号が、組み合わせによって意味をもち始めることに新鮮な驚きがある。

書いているうちに、少しずつ饒舌になってきた。言葉に作られゆく自我をこうして書き留めることで、ようやく自分のものになるという感覚がある。それ以外の自我は、現れては消えてゆく。風にもなれずに。

ないもの。

流れがよくないと感じる時がある。
石につまづくように、タンスの角に指を引っ掛けるように、人生のハードルが超えづらい日。
もちろん自分の言動の因果の先である場合もあるのだが、それだけでなく、河川のカーブ内側に生じる淀みの溜まり場、自分の力では抗えないスポットに嵌まり込んだように。私はもがいている。掌を見つめ、何かを取り零しそうな感覚を眺めることで見届けようとしている。

問題が解っているならほぼ解決したようなもの、とはよく云うけれど、現在のこの状態は問題がわからない。ただただ漠然とした喪失感がそこにはある。

昨夜眠りに落ちる直前まで考えていて、夢の中まで持ち越した考えが心に煙幕のような霧雨を降らせているのかもしれない。私に向けられたものではないけれど、「卑劣な逃走」という言葉に自己を重ね、私は背筋を伸ばして生きられているか否かという検証が己れの中で網羅的解析を始める。

彼女は(好意的な見方をすれば)恐らく、相手と共に積み重ねてゆく関係性により、自分の考え方や対応の仕方が変わることもあるという意味合いで、「性格は関係性により変わる」という表現を用いたのかな、という理解をした。けれどそうであるならば説明をすればよいのに、発言自体を引き下げたことで、否定的解釈を認めたと受け取られてしまうだろう。或いは、理解されることを諦めているのか、端から理解される必要性を感じていないのか。

他人の感情を引き受ける必要性はない。あるかどうかもわからない誰かの感情を代理で自分の中にもつことは無意味だ。ただ、昨夜の一連のできごとのうちの「何かが」私の心を揺さぶり、霧雨に変わっているのだと思う。
私は逃げない。
いや、その前に迂闊な発言をしたくない。
けれども自分の能力に自信がないからこそ、彼女と同様の行動を示してしまうかもしれない未来の自分を憂慮している。
ないものを愁うその行為もまた、無意味であると知りながら。


暖かくなってきたので、ランニングを再開している。きもちよくて、どこまでも走れる気がして、オーバーワークしてしまうほどに、春。消費エネルギーと相対的に筋肉量が増加するせいか体重はさほど変わらないのだが、シルエットが変化する。尻の位置が上がり、大腿部の隙間が拡がりを見せ、脛部の周径が一回り縮む。変身願望を充足する報酬。指の先まで思い通りに生きていたい。

機能

カーテン越しのまだいかほども光を含まない気配。
覚醒を待つ微睡みの中で脳が急速に回転を始める。夜明け直前。私はこの季節のこの時間帯を識っている。恐らくは、6時前後。スマホに手を伸ばし確認する。6時6分を示すデジタルがバックライトに白く浮かび上がる。先程まで爪の先まで私の身体を包み込んでいた夢の世界が急速に後退してゆく。保持される必要がないと判断された記憶が現実に侵食されてゆくさまを眺めながら特段抗いもしない。昨夜は咳に眠りを中断されることなく存分に枕に頭を沈めていた。深い眠りを獲得できたという実感がある。良質な睡眠。良質な夢見。良質な覚醒。パスタを上手にフォークに巻きつけて口に運ぶような達成感。咀嚼された私の人生のほんの一握りがまるで永遠のように生活を分断する。人生は一瞬の連続で、失われてゆく時を如何に認識できるかによってその濃度を変化させる。目の前にある景色、目の前にある認識。感覚は入力するための信号。意味を与えなければ何ら機能しない。痛みは快楽に為りうる。快楽は悔恨に為りうる。物語を付与しながら人生を構築するということは機能するということと同義だ。機能したいという言葉は既に機能性を含んでいる。物語の中に統合がある。物語の中に、人生が構築される。咳がまた出始める。もう少し眠ろうか。

返し刀

本を読む気にならなくて、車窓と景色の中間あたりを眺めている。焦点はどこにも合っていない。強いて言えば心中にフォーカスしている。

自分の中から何一つ言葉が出てこないという時がそう少なくない頻度で訪れる。言葉は絵を描く事と似ている。曖昧に滲んだ世界に境界線を引き、輪郭を与える。言葉を失うということは、輪郭を掴むことができずに曖昧なままの世界が私の周囲に、或いは身体を通り抜けたそこに在るということなのかもしれない。


同意と共感と称賛のみで構成されたコミュニケーションを信頼していない。恐らく私はその態度に媚を感じてしまうからなのだと思う。
筋の通った理由を添えてくれるならばいっそ否定してくれる人の方が安心できる。そこに誠実さを感じる。

但し、これは返し刀だ。
自分は相手に誠実さを以て接しているだろうか。
否定できない相手に対して、媚を売っていないだろうか。
事前に制御できないような感情や行動でも、反芻しその意味に気づいたり、または意味を与えることで自覚を促せると考えている。まずは自覚したい。誠実であるために。

他者性

もうすぐ髪を切る。
2012年あたりから伸ばし続け、毛先は時々揃える程度に切っていたけれど。
人生で今が最も長い。そして人生で2番目くらいの短さまで一気に切る予定。
ドネーションする。
この長さを洗うのもあと二回だけだと思うと、いつも以上に丁寧になる。髪は確かに自分の一部なのに、容易に切り離されるが故に他者性をもつ。
一つ一つの細胞が、走馬灯を抱えている。私の人生を共に歩んできた。その全てを見てきた。もうすぐ離れてゆく。新たに別の誰かの人生をその裡に抱えてゆくのでしょう。
どうか幸せにしてあげてほしい。
私も幸せだったし、これからも幸せでありたいよ。
ありがとう、そしてさようなら。